神青協炊き出し支援 宮城県石巻市
静岡県神道青年会では、平成23年4月13日〜15日にかけて神青協の炊き出し支援活動に参加した。その内容については野中理事(当時)の報告に詳しいので、引用しておく。
平成23年4月13日 午後1時
龍尾神社集合(龍尾、金田、野中)
龍尾宮司による御祓いを受けた後、「非常時は勇気ある撤退を」という旨を確認して、レンタルのハイエースにて出発。
物資に関しては神青協が手配していることと、現地の状況が把握し切れていないこともあり、携行缶にてガソリンのみの持参とした(あくまで、自身の燃料として)途中神社庁を経由し、裾野にて最終的な合流(清水)
平成23年4月13日 午後3時半
裾野を出発。途中のSAで給油の可否を確認しながら目的地に向かう。
当初は車中泊を予定していたが、気温が氷点下に達する為、途中で復興支援に開放されているホテルを予約。
平成23年4月13日 午後11時半
蔵王のホテル到着。途中立ち寄ったコンビニに(時間的なことがあったにせよ)あまりに品物がないことに愕然とする。
目的地までの移動に2時間半程度かかることを確認し就寝。
平成23年4月14日 午前5時半
ホテルを出発。富山県の青年会員と合流し目的地に向かう。途中コンビニにて朝食を購入するもやはり品薄。特に弁当類はほとんど無い状態。
仙台付近を通過中は屋根瓦の欠損や漂流物などが各所に認められたがそれほど大きな被害はないように思えた。高速道路も普通に通行は出来たのだが、所々に隆起があり、高速での運行はお勧めできない状態。
ただ、石巻に入ってからは景色が一変。車が通行できるようにこそなっているが、よけられた瓦礫が路肩に積み上げられており、建物は所々が崩れ完全に冠水。逆さまになったり倒壊した家の下敷きになった車が随所で見られ、道路を走る車も汚れ放題。未だ水などにも余裕がないことが見て取れた。
平成23年4月14日 午前7時半
目的地である「鹿嶋御子神社」に到着。
この神社は写真の通り、町並みを見下ろす高台に鎮座しているため津波の難を逃れ、避難者達300人程度がいまも身を寄せている。
普段であれば町を一望できる絶景ポイントであると思われるが、いまは見渡す限り瓦礫の山で、しばし言葉を失う。テレビで見るのと自分の目で見るのでは大違いで、何ともいえない無力感にさいなまれる。
今回の活動に際して全国から集まった青年神職は80名余。神社参拝、大祓詞の奉唱の後、神青協会長、宮城県神道青年会会長らの挨拶、地元神職による状況説明と当日の活動の割り振りを受け、物資をそれぞれの車に積載した。
物資に関しては闇雲に持参してもかえって迷惑になるという観点から、神青協が量販店と契約し、あらかじめ必要な物資を必要なだけ用意していた。
平成23年4月14日 午前9時
今回の炊き出しの会場となったのは、「鹿嶋御子神社」「零羊崎神社」「大島神社」の三社で、静岡県は「大島神社」に割り振られた。
神社に到着し、参拝、大祓詞の奏上の後、まず最初に受けたのが地震発生時の避難手順の確認。「大島神社」は川沿いに鎮座しており、今回の震災では津波の押し寄せる向きが違っていた為に大きな被害を受けなかったが、本来は被害に遭いやすい立地条件である為、繰り返し説明を受ける。
石巻市は町中が被災しており、比較的広い敷地を有する神社が廃材等の一時的な置き場となっている為、先ずそれを片付けた後、物資や食材の搬入を行った。
今回は「温かいものを食べてもらいたい」ということでバーベキューを主とした炊き出しを行い、各地300名分の食材が用意され、お土産としてフルーツなども袋分けされた。
平成23年4月14日 午前11時半
正午からの炊き出し、と告知されていたが人が集まり始めたことを受けて前倒しで炊き出しを開始。震災より1ヶ月が経過しているのでそれなりに飲食に関しては落ち着いているかと思いきや、「肉を食べたのは久しぶり」だとか、「避難場所から来れない老人にお土産で持って行きたい」という声が聞かれ、未だライフラインが復活していないことが伺われた。実にふがいない話であるが、炭への着火に手間取り、最初に来ていた人達に十分に肉を振る舞えなかったことが悔やまれてならない。
平成23年4月14日 午後2時
一段落がつき片付けと撤収を始める。残った食材は近隣の病院などに届け、入院患者の方達に召し上がってもらうことになった。ゴミ等も現地に捨てていくわけにも行かない為、各県それぞれに振り分けて、戻った後に処分ということになった。
平成23年4月14日 午後3時
再度、「鹿嶋御子神社」に集合して活動の報告と今後の更なる支援の必要を確認。すぐには無理であるとしても、現地の要望を神青協でくみ上げ、その時々に応じた支援要請にこたえられるよう、各単位会が力を蓄えておくことが必要である。
解散後、神社の高台から見た景色を近くで見てみようということになり、そちらに向かう。自衛隊により瓦礫が脇に寄せられていることから通行は可能であるが、そもそもその道を通ってゆくべき目的地といえるようなものは何も残っていない。
平成23年4月14日 午後10時
当初の予定では14日未明には静岡県に到着の予定であったが、さすが に疲れがたまり強行軍は断念。浦和にて一泊。
総括
テレビを通して見えるほどには現地が安定していないことを肌で感じた。復興支援はこれから多年にわたって行っていくことであり、当県でもそれを見越した予算の計上や会員の協力の取り付けを行っていくことが必要である。
また、神社が比較的広い敷地を有し、とりあえず雨風をしのげ、また小高い場所に建てられていることが多いことから、災害時には避難場所になり得ることを改めて再認識した。
社務所を有し、平時より非常時の蓄えなどが準備できている神社はともかく、普段神職が常勤していないような神社に被災者が集まったときに、「神社に常備されているものを利用してなにができるのか?」「火のおこし方、暖の取り方、飲料水の確保、食糧の確保」「境内に生えている植物の中で飲食に適したものは何か?」ということを、少なくとも神職が把握、実践できるようになっていることが重要と思えた。
神社復興の資金支援などは青年会レベルでどうにか出来る問題ではなく、我々青年神職が被災地に対して「物理的に何が出来るのか」「精神的にどうしたら助けになれるのか」ということを考え、また実践できるように身につける事が復興支援につながり、ひいては我々が被災したときに生きてくる。
「心肺蘇生術」「応急手当」「道具がない状況での火起し」「汚水の濾過方法」etc…、他にも様々な技術の習得も又、青年神職として必要であるのかもしれない。